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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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5 江戸の経済危機に挑んだ男

 村井淳志『勘定奉行 荻原重秀の生涯 -新井白石が嫉妬した天才経済官僚』集英社新書

 この本は、読み応えがありました。

 荻原重秀は、書名にもあるように江戸時代の勘定奉行です。
 知る人ぞ知るというタイプの人物で、一般的には知名度は低いでしょう。まとまった史料も少ないようです。
 著者は丹念に一次資料を渉猟し、謎の多かった隠れた逸材の実像を浮かび上がらせました。
 以後、荻原重秀を知りたかったら、これを読め。
 そういう本に仕上がっています。


 さて。以下は、個人的な感想です。

 私がこの本の中で一番おもしろく読んだのは、「第四章 佐渡渡海」の部分でした。

 ただ、やはりあまり知られていない人物なので、それについて書く前に、荻原重秀の代名詞とも言える業績「元禄改鋳」について私なりに説明してみます。
 5代将軍徳川綱吉の時代。傾いた幕府財政を立てなおすため、彼は貨幣改鋳を断行しました。
 簡単に言うと小判に含まれる金の比率を落とすことによって、おカネの量をふやしたわけです。

 これ、当時から評判がわるかったらしいんですね。
 江戸時代の素朴な経済感覚として、政府におカネがないからって小判の品位を落として差益で儲けるというのは、ちょっとズルインジャナイと思ったのでしょう。
 さらに、時のオピニオンリーダーである新井白石が、荻原は巨額の賄賂を受けていたなどと書き残したために、悪評が後世まで残ってしまったようです。(このあたりの事情は、村井さんの著述にくわしく書かれています)

 今は賛否両論にわかれます。
 通説では、荻原の貨幣改鋳はインフレをひきおこし、当時の経済に混乱を引き起こしたと説明されることが多いようです。
 しかし、近年は経済学者を中心に荻原重秀の業績を評価するむきが多いようです。

 おカネが足りないから、政府(金融当局)がつくる。
 これは、社会の経済規模にみあうように通貨供給量を調節する政策と考えれば、現代では基本的には当たり前の話なんですね。

 荻原の有名な言葉がありあます。

「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし。今、鋳するところの銅銭、悪薄といえどもなお、紙鈔に勝る。これ遂行すべし」

 今の流通している1万円札とかは、実はただの紙切れです。原価は20円くらいとか。
 お金っつうのは材料の価値には無関係。国の信用で成り立つものです。

 しかし、江戸前期の通貨はそういうものではありません。
 現代の常識は江戸時代の非常識。
 荻原の着想がたいへんな先進性なのか、非常識なのか、私にはわかりません。

 彼を評価する論者は、「たいへんな先進性」派なわけです。
 彼の政策は時代の先取りのしすぎで当時の人々の理解を得られず、誤解されて失脚したと見るわけです(彼は晩年は不遇で、謎の死を遂げています)。


 そろそろ、佐渡経営の話に移ります。

 貨幣改鋳を断行するより以前、荻原重秀は佐渡奉行となって佐渡ケ島に赴きます。
 通例として旗本が遠国奉行に就任するのは、出世の階段の「あがり」、事実上の名誉職なのだとか。歴代の佐渡奉行も仕事はやらず、年1回物見遊山のような視察をするのが大方のスタイルだったそうです。

 しかし、荻原重秀は着任早々、実に真面目に仕事に取り組んだようです。

 戦国末期~江戸初期の技術革新によって、佐渡金山は江戸幕府のドル箱(千両箱?)になりました。しかし、荻原の生きた元禄期までには採算のあう鉱脈が掘りつくされてしまい、生産量が頭打ちになっていました。
 当時の通貨政策では、金が増産されないとおカネの量をふやすことができません。
 一方で農業技術も改良されて収穫高がかなりあがっていたにもかかわらず、通貨量が不足したため、財政悪化の一因となりました。侍の収入は米です。米が増えているのにおカネが不足したら、米の値段が下がるリクツですね。

 そこで荻原重秀は、佐渡金山の再興に着手したのです。

「金山のてこ入れのため、幕府からの資本投下を実施する。かりに赤字になっても十分な資金を提供するから安心しろ。しかし、資金の運用が不適切であることが判明した場合にはきびしく処分するから心せよ」
 まず、事業者にそう言い渡します。
 つぎに、大規模な排水溝の掘削工事を開始します。鉱脈をもとめて地中深く掘り進むためには、排水にかかる人件費がネックになっていました。それを、一気に解決しようというわけです。
 膨大な資金のかかるこうした大工事は個々の事業者にはできないため、幕府の資金をそこに注ぎ込んだのです。この措置によって、当時、金山は実際に活況をとりもどしたそうです。

 さらに荻原は、佐渡の農村にも目を向けました。金山に集まる人々への食料の供給が、佐渡の農村を豊かにしていました。
 そこに着目した荻原は、検地を実施し、農村への課税強化を断行したのです。それを鉱山事業にまわす構想です。農村には増税ですが、鉱山の繁栄は農村に商品作物からの収入増加をもたらすでしょう。少なくとも、理想としてはそういう図式も期待できます。

 このような方法の是非については、意見が分かれると思います。
 ただ感心したのは、現実を広くトータルでとらえ、金の産出を目的とするシステムとして再構築しようとした着想のありかたです。

 荻原が着任したとき、佐渡の人々は驚いたのではないかと思います。
「仕事をする御奉行様なんて、はじめてだ」
 そんな、ボヤキが聞こえる気がします。
 切れ者で働き者の上司がそばにいると、部下の仕事はむしろ大変になるからです。
 増税はやはり農村には過酷なものだったでしょうし、鉱山の活況で農村も潤うはずだというのも、
「リクツはそうでも、現実はねえ」
 という感じでしょう。
 (現在の私たちが、大企業優遇政策で格差がひろがっても、それによって景気がよくなればやがて庶民生活も豊かになるのだ、と言われても釈然としないのと同じです)
 そういう、どこか血の通わない、非情の経済官僚という面影も、感じないでもありません。

 ただ、この人物、なんと言っても「仕事師」ですね。

 荻原重秀が経済官僚として出世の階段をのぼりはじめたころ、金生産の衰退は幕府のかかえる頭痛のタネのひとつでした。
 はじめに彼は検地と行政改革に手腕を示します。
 次に、鉱山事業の立て直しに取りくみます。
 そして、ついに貨幣改鋳に行き着くのです。
 鉱山経営に一定の成果を示しながら、それでは不十分なこと、問題の抜本的な解決には至らないことに気づいたのでしょう。

 この人物は、少なくとも一貫性があるな、と思わずにはいられません。

 彼の「先見性」は、机上の知恵ではなく、現実との格闘から得られたものなのでしょう。
 江戸の「プロジェクトX」。ちょっと違うかな。
 しかし、そういうところにこそ、私はこの人物がもつ現代に通じるものを感じています。


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