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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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50 江戸時代についての二つの見解

 今回は、書籍を一冊紹介します。


◎八幡和雄『本当は恐ろしい江戸時代』ソフトバンク新書


 この本は一言でいうと、「江戸時代礼賛」を批判しています。

 「はじめに ~江戸時代は北朝鮮そっくりの”地上の楽園”だった」から、少し引用します。

「「江戸に学べ」という物言いが流行している。環境重視だった、平和だった、地方分権だったなどといろいろいわれるが、はたした江戸時代の人は本当に幸福だったのだろうか。明治維新や文明開化のために日本は悪くなったというのだろうか。
 黒船の来航をきっかけにして江戸幕府が終わったのちの、明治国家による近代化は、世界史上でもまれに見る成功した改革だと国際的にも評価されてきた。世界トップクラスの豊かな国でいまあることも、そこに至る一世紀余りの歴史がおおむね正しかったことを示している。
 ところが、江戸時代礼賛論者はそれ以前の封建時代を誉めて学べというのである。この腑に落ちない賛辞は、どこかで聞いた呼びかけに似ていないだろうか。そう、「北朝鮮は地上の楽園」というあれである。」

 なるほど。

 私も江戸時代の経済政策や文化をやや過大にもちあげるような文章を書いたことがあるので、少し耳が痛いですね。

 わが国の近世史は、もちろん手離しで賞賛できるようなものではなく、多くの矛盾や弊害をかかえていました。その矛盾・弊害を修正し、ある部分では確実に克服しながら、私たちの先人は今日まで歩んできたことは間違いないと思います。

 ただ、私には、歴史を考える上での確信がひとつあるんです。

 それは、前回のエントリでも書きました。

「源頼朝をささえた坂東武者の実態が、在地社会に根をはる中堅官僚たちだったように、時代の変革というものは前時代からの連続であって、けして断絶ではないのです。歴史は直近の過去を継承することなしに動きはしません」

 明治の近代化は、その直前の歴史・社会・政治・経済・生活をすべて断ち切って突然ワープしたものなのでしょうか?
 江戸時代の社会に多くの弊害があったとしても、同時に多くの知恵としたたかさ、まがりなりにも260年あまりも続いた安定への模索、それらの蓄積があったからこそ、明治維新の劇的な飛躍が可能だったのではないでしょうか?


 一方で、明治維新は、薩長による「武力革命」として進行しました。
 安政の大獄、「天誅」の名のもとに横行した多くの暗殺事件、政権をめぐる熾烈な権謀術数、戊辰戦争の流血。
 これが、幕末・維新史のひとつの側面です。

 そこに「大義」があろうとなかろうと、血に汚れた歴史の果てに成立した政府が「明治政府」であることは否定できません。もちろん徳川幕府とて、関ヶ原~大阪の陣という血みどろの歴史が生んだ政府なのですから、因果応報とは言えます。

 ここで私が言いたいのは、本質論として誰が正義で、誰が悪かということではありません。

 血にまみれた勝者である明治政府は、みずからの正義を高らかに主張せずには存在し得なかったという事実。これを、言いたいのです。
 自らの正義を高らかに主張するために、彼らは、彼らが葬り去った「前時代=江戸」に対し、「悪」であり、「旧弊」であり、「時代錯誤」であり、「姑息」であり、「暗黒」であり、ゆえに「排除すべきもの」であったと規定せざるを得なかったのです。


 「ザンギリ頭をたたいて見れば文明開化の音がする。総髪頭をたたいて見れば王政復古の音がする。半髪頭を叩いてみれば因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする」


 このような、明治政府のつくりだした江戸時代の「悪しき虚像」から、私たちはそろそろ自由にならなくてはいけません。
 「近代」を準備した近世日本人の「知恵」と「力」を再評価することなしに、欧米や中国ともわたりあうべき21世紀の日本をとりもどすことは不可能と私は考えています。


 ・・・・・・私、何かが降臨してますか(笑)。

 ちょっと、頭を冷やして。

 ここは両論併記ということで、もう一冊、書籍を紹介しておきます。


◎石川英輔『大江戸開府四百年事情』講談社文庫


 著者の石川さんはSF作家で、江戸時代をテーマにした本を多く書かれています。歴史学者の著作とは一味違った、理数系らしい合理的な記述に敬服しています。
 前掲書からの引用に「地上の楽園」というキーワードがありましたから、これにからめて引用します。

「誤解のないようにはっきり書いておくが、だからと言って、私は江戸時代の日本が地上の極楽だったとか、理想的な社会だったとかいっているのではない。
 残念ながら、生身の人間の生きている地球の上に地獄はあっても極楽のないことは、まともな大人なら誰でも知っている常識だ。どこかの国が<地上の楽園>とかいうのはすべて幻想か大嘘か政治的な誇大宣伝あり、うっかり信じるとひどい目に遭うことは、今の日本人の常識といっていいだろう。
 当然、江戸時代の日本は極楽であり得ない。もちろん、どの時代のどの国にも極楽はなかったし、今もない。ところが、この世に極楽はなくても、地獄や地獄に近い部分があることは、テレビのニュースをしばらく見ていればわかるし、江戸時代の日本も例外ではありえない。江戸時代の日本にどのような地獄あるいは地獄に近い部分があったかについては、専門家が長年にわたってこまごまと書き尽くして下さったので、今さら私がとやかくいう必要はないだろう。
 と書いても、私が江戸時代を実際以上に高く評価していると思う人がいるにきまっているので繰り返して書いておくが、江戸時代の人々もわれわれと同じようにさまざまな愚行をかさねてきたことはよく知っているし、愚行をかさねたのが江戸時代の日本人だけではなかったこともよく知っている。人類は、愚行をしながら生きているのであり、愚行のない社会は、空想家の頭の中にしか存在しない。
 江戸時代の日本は、極楽でも地獄でもないという意味での「普通の国」だったのである」



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コメント

 極論ですが…(笑)

 私の考え方は、かなりなにかが降臨してますが…(笑)

 庶民にとっての楽園は、生きるか死ぬかのサバイバル、まだ「社会」というものの骨格が出来ていなかった時代にまで遡るのではないかと思います。
 半野生とでも言いますか…下手をしたら、人類がまだ、新人だとか旧人だとか言う時代には、ひょっとすると、かなり高度な集団生活などに発展していたかもしれないので、その前ぐらい。適当にも程がありますが…

 人が、人のための社会を(つまり、人が人を支配する時代)作る以前が、実は楽園だったのではないかと思います。例え死の危険が隣り合わせであっても。

 大きく二つに時代は分かれるのではないかと思います。野生の時代と、人が人を支配しようとする時代。今もまだ、人が人を支配しようとする世界と言う事で。

 あまりに論点を飛ばしすぎですね(笑)失敬…


 飛ばしすぎなので、戻すと、江戸時代の後期って、100円ショップバリのお店があったそうですね、すでに。二束三文と言う奴。なんかのテレビでやっていました。
 いつの時代でも、楽しむ人は楽しいのかもしれません。大きな戦争さえなければ、どの時代でも極楽かも。

 サキさんは、時空をかけめぐりますからね(笑)。

 人類の祖先。まだサルに似た生き物だった時代、彼らは森林で生活していたとか。
 森の樹上生活は、「楽園」に近かったと言います。
 木登りのできる大型捕食動物は少ないので、天敵があまりいない。果実・堅果類、虫など、食物は豊富。
 ところが環境が変わり、彼らは森を出て草原で生活するようになります。草原には敵も多く、食物は容易に手に入りません。集団で天敵や過酷な自然条件から身を守り、狩をして食を確保するようになります。
 一方、草原で遠くを見渡すために彼らは「直立」するようになり、これによって頭蓋骨の構造が変わり、大きな「頭脳」をもつことが可能となった。
 平和で安全で安楽な生活を失い、代償として知恵を手に入れたわけです。しかし、それは幸福なことだったのか。
 この激変の経験が種族の記憶として人類に残り、聖書に書かれた「失楽園」の物語となったではないか、という説を聞いたことがあります。

 江戸時代に戻ります。

① 一般的な認識としては、江戸時代はどちらかと言うと「過小評価」されている。
           ↓
② そこに不満な歴史好きから、江戸時代にも評価すべき点はあるという声が上がる。
           ↓
③ そういう立ち位置から書かれた書籍などを読み、江戸時代を賛美しすぎなのではないかという感想をいだく人がいる。

 こういう流れがあるのかなと思いました。

 なるほどなるほど歴史家や歴史研究家や歴史マニアの論争的なヤツですね。

 例えば、現在の状況と比べてエコだった。と言う部分に言及すると、確かに「リサイクル」の観点からは非常に優れた印象を受けますし、実際に世界に類を見ないレベルだった。とも言えるのかも知れませんが…

 江戸時代(世界的にも中世から近世?ですか?まだ産業革命以前の豊かではない時代)、孤立した島国しかも鎖国中、南国でもない、それでも人口増加、こう言うことを勘案していくと、現在の「勿体ない」と江戸時代の「勿体ない」とでは、意味が異なるのかもしれません。

 江戸時代の「勿体ない」は、精神的な教え、良識と言う意味は持ち合わせず、本当に「何にでも価値を見出ださなければ、生活が成り立たない」という、必要に迫られた勿体ない、エコ、といったことだったのかも知れません。

 江戸時代のそれは「エコ」ではなく、生きるために編み出した「苦肉の策」だったのかも知れません。

 こう言った部分が、もしも実際にそうだったとすれば、それは無理矢理現在に繋げた「美化」された話と言えるのかもしれないですね。

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