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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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39 平安時代は乱世だった

1.平安時代は「平和」な時代だったのか?

『ところであなたは、平安時代というとどんなイメージを思い浮かべますか?
 おそらく、穏やかで平和的な時代を想像するのではないでしょうか。』
 

 これは、エントリの17の中で書いた文章です。

 17 ”正倉神火” と武士の誕生


 歴史小説やテレビの時代物がわりあい好きな人でも、「戦国時代」や「幕末」はイメージできても「平安時代」となると見当がつかないという人は多いのではないでしょうか?


 以下は、私がときどき参加している、『Unow? Yes/No』という一種のアンケート・サイトから。



 【追記 2009・03・08】 『Unow? Yes/No』は、2009・03・10で、サービス終了になるようです。




「どちらかなら生まれたかったのは戦国時代(Y)、平安時代(N)?」

 という質問に対し、回答総数144件、割合はYes(戦国時代)29%、No(平安時代)71%でした。

 戦国時代を選んだ人は少数派ですが、3分の1弱ですから必ずしも少ないとはいえないかもしれません。
 こちらを選んだ人たちは、きびしくても実力本位の時代に魅力を感じているようでした。

 一方、平安時代を選んだ方の意見ですが、代表的なコメントをいくつか抜粋してみます。


・光源氏の如く貴族の生活がしたい

・貴族の社会で格差はあるだろうが、今よりは平和そう。

・戦争反対。

・安定してる方がいい。

・のんびりのほほん、生きてるだけ幸せそう。

・平安時代の文化に興味あるのでこっち

・紫式部や和泉式部と話せたら・・・最高♪

・戦国よりは、こっち。・・雅な生活は望めんだろうけど。

・天上人として生まれられるならね。一般庶民だとちょっとキツイね。

・殿上人でゼヒ。中宮とか尚侍とか、更衣でも可。

・「戦国時代」って自己中のバカばっかりだから。


 やはり、全体的なトーンとしては、平安時代は「平和で優雅な時代だった」というイメージがあるように思いますね。

 ちなみに私は複数回答して、「平安時代はよい時代ではなかった」ことを強調してみたのですが、読んでくれた人がいたかどうかはわかりません(笑)
 まあ、上の回答をみても、貴族の生活以外は優雅ではなかっただろうと承知している人もいることがわかります。
 でも、戦争はイヤだと。
 それはそれで健康的ではありますね。


2.平安時代は、「乱世」だった

『ところであなたは、平安時代というとどんなイメージを思い浮かべますか?
 おそらく、穏やかで平和的な時代を想像するのではないでしょうか。』

 以前のエントリで、この文章につづけて私はつぎのように書きました。

 『源氏物語、古今和歌集、平等院鳳凰堂などは、雅やかな貴族文化を今に伝えて素晴らしいのは確かです。
 しかし、それらは京の都の文化であって、平安時代の日本の姿を正しく伝えているとはいいきれないのです。
 
 この時代、文化はともかくとして、国政はかなり衰弱していました。とくに地方の荒廃はひどいものだったのです。』


 平安時代は、幸福な時代ではなかった。
 それはどういうことかと言うと、貴族と庶民の「格差」がひどかったというだけではありません。

 平安時代は、「平和」な時代ではありませんでした。

 むしろ「戦乱」のつづいた時代だったからこそ、日本独特の武装集団である「武士」がこの時代に誕生したのです。

3.関東地方と「東北侵略戦争」

 3世紀末~4世紀に畿内に起こった「大和政権」は、5世紀後半から6世紀頃には関東地方を支配下においたものと考えられます。

 27 古代・北関東王国の没落

 そして、東北地方への進出を開始します。
 「蝦夷の国」への侵略戦争です。


 関東地方は、大和政権が東北に軍事行動を起こすための足がかり、「兵站基地」と位置づけられました。
 関東の民衆は兵士として鍛えられ、北の戦場に送り込まれました。そのためこの地は、朝廷が支配する地域の中では最強の「戦士の国」になったのです。

 こうした状況は、平安時代まで持ちこされました。

 京都の朝廷は、降伏してきた蝦夷たちを軍団に編成し、まだ服属しない蝦夷勢力と戦わせる政策をとりました。
 そのため、関東地方には蝦夷による「傭兵部隊」のようなものも配置されていました。これを「俘囚」といいました。

 俘囚たちは、何度も叛乱を起こしています。

 この叛乱を、朝廷側の記録は「怨乱」と表現しています。怨念の「怨」です。
 組み敷かれ、きびしく差別され、故郷との戦いにかりだされた者たちの恨みが聞こえてくるような言葉ではないでしょうか。

4.アナーキズムに支配された東国

 蝦夷との戦いは、関東地方の民衆を経済的にも疲弊させました。
 それにくわえて、京都から下ってくる国司たちによる過酷な搾取が追い打ちをかけたのです。

 生活の破綻した農民は土地を捨て、流民となりました。彼らは、生きるために徒党を組んだでしょう。
 そして、この地には戦争のプロがいます。蝦夷との戦いで鍛えられた戦士たち、そして、かつては蝦夷だった「俘囚」と呼ばれる傭兵たちです。こういう者たちが流民たちと合流し、「群盗」とよばれる集団をつくりました。

 群盗は馬術に長け、東海道で奪った物資を東山道で売り、東山道で奪った物資を東海道で売っているという、当時の記録があります。

「兇猾党をなし、群盗山に満つ」

 そんな記述も残されています。

 平安時代の東国は、こんな状態でした。

 京都の朝廷の力は、地方には直接およびません。「代理人」の国司は、私腹を肥やすことしか興味がないような人間がほとんどでした。
 農村は荒廃し、「群盗」が山に満ち、傭兵たちが跳梁していました。

 平安時代というと、ずいぶん古い時代のように感じるかもしれません。
 しかし、大和に政権が誕生してから500年以上。
 大和朝廷が成長し、蘇我氏による「大開発時代」を経て整備され、律令国家、さらには王朝国家にいたるまでの道のりは、気が遠くなるほど長いものでした。

 平安時代は、日本列島の古代社会が行きついた「到達点」だったのです。
 芸術や文化のレベルは高く、「源氏物語」は世界最古の恋愛小説とも言われます。

 しかし、政治の世界では腐敗・堕落がはじまり、「地方の荒廃」を引き起こしました。
 ことに関東地方は、バイオレンスの支配する無政府状態におちいってしまったのです。

 そうした時代が、「武士」を誕生させました。
 
 それは、荒涼とした社会に荒々しい息吹をふきこむ、新たな生命でした。
 老いた社会は、こうして力強く蘇るのです。
 


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コメント

 これは面白いですね。なるほど、私の頭の中では日本列島に住む人は皆日本人と言う固定観念がありましたが、確かに朝廷から見れば、当時は関東も東北も「外国」というわけですか。
 関東人から見れば、朝廷は強大な侵略者と言う訳ですね。

 戦国時代がお家騒動とすれば、平安時代は他国侵略、植民地化時代と言う訳だ。

 私、今東京に住んでいますが、実は入植者だったのか(笑)

 なんだか、不思議なものですね。確かに地方地方で僅かながら文化が残っている「他国民」同士なのに、なぜか対等に付き合うことができる。
 統合された「国」も長い年月を経ると、同化していく。

 元はと言えば、隣の県民同士は激しく殺しあっていた時代も確かにあったのに…

 よそ者扱いは、その前時代の名残ですかねぇ。

平安朝ウエスタン

 平安時代の関東平野はかなりアナーキーな世界ですが、視点を変えると大フロンティアでもありました。
 この時代を舞台にした西部劇風のドラマが作れるかもしれません。群盗に襲われた村を助ける正義の武士だとか。蝦夷との戦いで名をはせた「名将(朝廷にとっての)」も何人もいますから、第7騎兵隊とアパッチ族の戦いみたいな物語も作れます(笑)。

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