FC2ブログ

ブログ内検索


プロフィール

あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


カテゴリー


最近の記事


フリーエリア



デル株式会社


PCDEPOT WEB本店


にほんブログ村へ にほんブログ村 歴史ブログへ
人気Blogランキングへ

記事を気に入っていただけたら、ワンクリックよろしくお願いします




最近のコメント


リンク


RSSフィード


FC2カウンター


最近のトラックバック


ブロとも申請フォーム

32 斉藤道三 -武・商・僧の三つの道-

 斉藤道三は、言わずと知れた戦国時代の武将。
 出自も不詳、人物の評価も大きく分かれる謎の人物です。そして、娘を織田信長に嫁がせた男としても有名。

 とにかく、この男はドラマチックです。伝承では、京の妙覚寺で修行した僧侶上がり。その後、油売りの大商人となり、さらに美濃の土岐家に仕官しますが、権謀術数をつくして主家を乗っ取ってしまいます。ついに大名にまで成り上がったわけです。

 異名は、「美濃のマムシ」。
 江戸時代の軍記物語から、残忍酷薄な大悪党としてのイメージで、語りつがれてきました。

 ところが、昭和になってこの悪役像に大変化がおとずれます。

 司馬遼太郎が、名作「国盗り物語」の主人公にこの人物を取り上げ、驚くほど魅力的なヒーローに描いて見せたのです。

 司馬遼太郎の斉藤道三は、人を騙し、陥れながら次々に成り上がっていくのですが、その騙しのテクニックに暗さ、陰湿さがなく、どこか優しさも秘めて憎めないキャラクターに仕立て上げられていました。

 ところで、最近(と言っても、初出は平成11年ですが)、この斉藤道三の物語に、新たな秀作が出現しました。

 ジャンルはマンガ。
 本宮ひろ志の『猛き黄金の国 道三』です。

 本宮ひろ志の作風をご存知の方なら、うなづけると思います。
 斉藤道三は、このマンガ家にうってつけのキャラクターです。

 強く、優しく、明るく。気骨のある堂々たる大悪党。そんな男を、本宮ひろ志は描き続けています。
 伝承の世界から現代に蘇った斎藤道三は、正にそんな男でした。


 ところが、学術的な世界では、現在この斎藤道三像に大きな改変がせまられていることを、ご存知でしょうか?

 僧侶、油売りから、一代で大名にまで登りつめた風雲児。この、「一代」という部分が崩れてしまったのです。

 問題となった史料は、『六角承禎条書』。
 六角承禎というのは、戦国大名の一人ですが、この人物が道三の死後4年目に家臣に宛てた手紙です。

 それによると、京都妙覚寺の僧侶から、美濃へ移って西村と名乗り、後に長井氏を継いで新左衛門尉と称した人物がいます。その子、規秀、後の道三が長井の当主を殺して惣領となり、さらには守護代斉藤家の名跡を継ぎ、美濃の国主に成り上がったと記されています。

 つまり斎藤道三の伝説は、親子二代の業績が入り混じったものということになります。

 そして、それにもまして気になること。

 「油屋」の話は、いったいどこへいってしまったのでしょう?

 六角承禎の手紙に記されていないだけで、長井新左衛門尉(父親の方)が実際に僧侶だけではなく油商人の経歴も持っていたのか?
 あるいは、息子の方が、新左衛門の跡を継ぐ前に、京で油屋を営んでいたことがあるのか?
 または、油売りの話は、根も葉もない伝説に過ぎないのか?

 しかし、作り話にしては、「油屋上がり」という発想は、かなり突飛に思えます。
 やはり、どこかに「謎の油商人」が実在したと考えたいですね。

 こう思うのは、斎藤山城守道三。この「道三」という法名にも関わりがあります。

 道三という名の意味について、司馬遼太郎は『国盗り物語』の中で、道三自信に次のように語らせています。

「道に入ること三回」

 一度目が、若い頃、京都妙覚寺の学僧「法蓮房」と名乗った時のこと。
 二度目は、彼が美濃で台頭しつつある頃。彼のあまりの悪党ぶりに強い反発が起こり、殺されそうになったことがあります。彼は、出家して京に逃げ戻ります。
 この時、道三と名乗ったというのですが、では、三度目は?

「三度目がござるのよ」

 それは、いつか死ぬ時だ、と彼はうそぶきます。

 これが、司馬遼太郎が考えた「道三」の意味でした。一応、なるほどと思わせますね。


 ところが、この名前の由来に関して、さらに魅力的な説があらわれました。それが、本宮ひろ志の「道三」です。

 本宮・道三は次のように言います。

「僧と商と武と、三つの道を歩いて来た身だ。これを一つにして道三でござる」

 なんて、スッキリした仮説でしょうか!

 本宮ひろ志は、斎藤道三を、商人のセンスをもつ武士、僧侶の心をもつ武士として描いています。これが、とてもいいんです。

 『猛き黄金の国 道三』では、道三の策略や残忍さは、民衆の生き血を吸いながら無為徒食に生きる支配階級にのみ向けられます。
 地侍や農民に対しては気さくに接し、彼らの命や生活を守ろうとします。また旧勢力に挑むにあたっては、しばしば民衆の力を借りもします。

 織田信長に先駆けて、商業の自由化=楽市楽座を創設し、そのノウハウを娘婿の信長に教える人物としても描かれています。

 物語の山場の一つは、斎藤道三の、美濃制圧の総仕上げとも言える戦場。

 敵軍の中には、白雲という僧形の豪傑がいるのですが、この男はかつて道三を父の仇と狙い、返り討ちにあって命を助けられたことがあります。道三という人物のスケールの大きさを、少しずつ理解しはじめています。

 戦さは道三の策略が次々に成功し、有利に進みます。
 ところが、勝利を目前にして、美濃守護職・土岐頼芸が「道三を討て」と命令したため、彼は窮地に立たされます。

 その時、道三は乱戦の中に進み出て、馬上から白雲に叫びます。

「おのれは、まだ目を覚まさぬか!」
 
「美濃は誰の国ぞっ。土岐の玩具ではない!」

 すると、白雲。

「わかっておるわあああああああっー!!」

 そう叫んで、突如、道三方に寝返ります(笑)。

「白雲。狂うたかーっ」
「敵は、後ろぞォーっ」

 仰天して騒ぎ立てる頼芸勢に、白雲、叫び返す。

「黙れいーっ、井の中の蛙共があーっ」

「天下広しといえど、美濃に巣食うおのれらほど、世情を心得ぬ馬鹿共はおらん!」
「国とは一体、何ぞ! 民の為す生産によって成り立っておる。他国よりその民を守り、民を案じての守護じゃあ」
「美濃に新しい息吹を吹き込み、民を守り、国を守って来たは、ここにおる長井新九郎利政(道三)!」
「この白雲が親の仇を忘れ、我が生まれし国の為、長井利政を守る。来るなら来いっ!」

 国は民の為す生産によって成り立つ。

 民を守り、民を案じての守護(職)。

 そんな言葉は、普通ならば、キレイ事、美辞麗句と受けとられるでしょうね。

 しかしこの言葉は、乱戦の修羅場の中で、稀代の大悪党と憎まれる男を称えて叫ばれました。

 商の才を持つ武士、僧の心を持つ武士。
 本宮ひろ志が、斉藤道三をそのように描いた意味が、ここで明確になるのです。

 史実としても、戦国時代は民衆の生産力が勃興した「新時代」。旧勢力を駆逐して民を守るのは、けしてキレイ事ではなく、時代の要請でした。

 「武」の争いにあけくれた時代。
 しかし、時代の混迷を内部から食い破って頭をもたげた、新時代の精神と経済が、近世の扉を開いたのです。

 だから斎藤道三は、油屋でなければいけません。


アーカイブ(過去記事一覧)



姫氏の国の物語・トップページへ

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tokai-japanese-history.com/tb.php/39-096de9c4

 | HOME |  ▲ page top