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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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25 崇神天皇と三輪山の蛇神

 崇神天皇は、『日本書紀』に記された第10代の天皇です。

 記紀(『古事記』と『日本書紀』)に書かれた古い時代の天皇は、本当に居たのかどうか疑問を持たれている人物が多いのですが、この崇神天皇は実在した可能性があると見られています。

 ただし、天皇という称号が当時まだなかったことは、ほぼ確実。「崇神」というのも、漢風諡号と言って後世になってから贈られたものです。

 ですが、話が面倒くさくなるので、ここでは「崇神天皇」と呼んでおくことにします。

 この天皇の宮は、奈良県桜井市、三輪山の西のふもとにあったとされています。
 そこから北西に1駅ほどはなれたあたりに、古墳時代初頭に突然あらわれた巨大遺跡・纒向(まきむく)遺跡や有名な箸墓古墳があります。

 つまり考古学的にも初期大和政権発祥の地と見てほぼまちがいのない地域であり、そこに宮をかまえていたという伝承も、崇神天皇実在説にリアリティをあたえています。

 この天皇をめぐって、『日本書紀』に次のような話が書かれています。



 ある時、国内に疫病が流行り、多くの民が死んだり流亡したりしました。

 崇神は、天照大神(アマテラスオオミカミ)と倭大国魂(ヤマトノオオクニタマ)の二神を同じところで祭っているのがよくないのではないかと考えました。

 そこで二神を別々のところに移し、倭大国魂をヌナキイリヒメ命に祭らせました。
 ところが、ヌナキイリヒメは髪がぬけ、やせ衰えて務めをまっとうすることができなくなりました。

 困り果てた崇神は、占いによって神意を問うことにしました。

 ここに、スーパーレディが登場します。
 その名は、倭迸迸日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ) 。
 聡明で強い霊力をもった、謎の女性です。

 このモモソ姫に神が憑き、

「なぜ、憂うのか? われを祭れば、自然に国は平穏になるであろう」

 崇神が問いかけます。

「あなたは、どこの神なのか?」

「われは、倭(やまと=奈良県)の神で、名は大物主(オオモノヌシ)だ」

 大物主は、三輪山に住む蛇の姿をした神です。

 さらに、崇神をはじめ数人の人々の夢枕にも大物主があらわれ、太田田根子(オオタタネコ)を自分の祭主とせよ、と言います。
 崇神が神託のとおりにすると、国は治まりました。

 この時の祝いの歌。

「この神酒は、私の神酒ではない。倭をつくった大物主の、醸した神酒。いく久しく、いく久しく」




 奇妙と言えば奇妙、地味と言えば地味(笑)な物語ですね。
 ただ、ここからいくつかのことが浮かび上がってきます。古代史の好きな人間には、これがけっこうタマラナイのです。

 そこで、古代史ファンという妙な人種がどういうことを面白がるのかという実例として、しばらくおつきあいください。


① 崇神と言う人物について。
 
 この人物は、奈良盆地の東南、三輪山麓を拠点に近畿地方を治めた「大和朝廷」の初期の大王と見られます。しかし、在地の出身者ではなさそうな感じがします。

 なぜかと言うと。

 アマテラスと倭大国魂を同じところで祭ったところ、疫病が流行し国が乱れたというエピソードに注目。
 
 この場合の「国」は、後の統一された日本国ではなく、大和、出雲、吉備、筑紫といった地域国家です。
 アマテラスは天皇の神であり、倭(ヤマト)大国魂は、大和の国の土着神ということになるのでしょう。

 つまり、このエピソードには、大和の土着勢力と、どこか他の地方からやってきた王者とのあいだに対立があったという背景が匂いますね。ちょっと、きな臭いんです。

② 大物主という神様のこと。

 では、その土着勢力とは?

 大物主という神様に、なにかカギがありそうです。

 大物主について考える前に、まず、日本の「神」という存在についてふれておきます。

 古代日本の「神」は、キリスト教やイスラム教の唯一絶対神・ゴッドではありません。

 ①でもふれたように、日本の神には「天の神」と「国の神」がいます。

 「天の神」は、アマテラスをはじめとする高天原の神々。まあ、神様の上流階級という感じです。支配者の神と言ってもいいでしょう。

 一方、「国の神」は、「神」というよりは「精霊」と呼ぶ方がふさわしいと思います。
 精霊信仰(アニミズム)は、未開人の自然への畏れや崇拝から発し、あらゆる動物や物質に霊的な力があるととらえるものです。
 日本神話の神は、そういう原始的な信仰をなまなましく残しているようです。
 大物主が蛇神だったように、時としては「もののけ」と呼んだ方がふさわしい姿で登場したりします。
 荒ぶる神、祟りをなす神。畏怖される自然神。そんな存在なのです。

 さて、蛇体の大神・大物主。これは、たいへん謎の多い神様です。

 大和の三輪山に住み、外来の王者・崇神を震え上がらせた土着神の親玉ですが、なぜか出雲とかかわりが深いことになっているのです。
 『日本書紀』には、この大物主が、出雲をつくった神・大国主の「幸魂奇魂」であると書かれています。それが、根拠の代表例。

 ところで、古くから畿内を本拠とした名門氏族に鴨(賀茂)氏・三輪氏があります。これらは、どちらも太田田根子を祖先とする伝承をもっています。

 つまり、太田田根子に大物主を祭らせた話は、出雲神の末裔を自称し、大和朝廷に祭祀権を認められた土着氏族が、その根拠として主張した祖先伝承だということが見えてきます。

 大和の土着勢力でありながら、出雲(山陰地方)系というのはヘンな感じですね。
 しかし、考古学的にも初期大和政権は、出雲や吉備の文化の影響を受けていることがわかっています。
 結論を出すのはむずかしいですが、おそらく何か背景があるのでしょう。

 人間は、動きまわる生き物です。外来の大王に反発した土着民ですが、自分たちもかつては、どこかからやって来た「外来者」だったのかもしれません。

③ 崇神を悩ませたのは、大和の国の部族対立。その平定に一役買った、倭迸迸日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)という女性について。

 この女性も、実に面白いのです。

 『日本書紀』の崇神紀には、上のエピソードの後にも、彼女がいくどか登場します。

 百襲姫は崇神天皇を補佐し、大和を共同統治したシャーマンでした。

 一説には、この女性こそ幻の女王・卑弥呼その人だと主張する論者もいるのです。

 この不思議な女性については、崇神の話のついでとして扱うのはもったいないので、次にあらためて書こうと思います。

 ここでは、『日本書紀』の中で崇神天皇が「御肇國天皇」(ハツクニシラススメラミコト=初めて国を治めた天皇)と異称されていることを付け加えて、終わりにしておきます。


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コメント

三輪山信仰の起点?

いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興さ
れたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸には
四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。
当時は、西谷と安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかが
ヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったり
もします。
 神話を絡めて考えても西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記された
伊邪那美神の神陵地がある魅力的な場所です。

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