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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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14 織田信長の実像(その2・桶狭間1)

 織田信長の事績については、現在さまざまな観点から見直されています。
 有名な桶狭間の戦いもその一つです。

 通説では。
 
 永禄3年(1560年)、今川義元率いる2万5千の大軍が尾張をめざして進軍を開始します。その目的は、京に今川の旗を立てること。当時、国力の充実した駿河・今川勢が、戦乱の世を鎮めるための行動をおこしたのだとされています。
 そもそも今川家は足利の名門、天下に号令する資格はじゅうぶんにありました。
 今川軍上洛の途上にある尾張は、当時統一されておらず、若き織田信長はまだ弱小勢力。今川軍の10分の1程度の軍勢しか動員できず、とうてい勝ち目はないと見られました。  滅亡のふちに立たされた信長は、しかし家臣の進言する籠城策を一蹴。
 
「人間五十年」
 幸若「敦盛」を舞って出陣する信長の姿は、芝居、小説、映画、TVドラマなどで、1万回くらいは再現された名場面です。
 
 熱田社での戦勝祈願ののち、織田軍4,000は今川の大軍に向かって進撃を開始。
 このとき信長は、
「ねらうは義元の首ひとつ」
 と家来に命じたとされます。
 
 おりからの豪雨が、信長に幸いします。
 敵将・今川義元が緒戦の勝利に油断し、桶狭間で休息していることを察知した信長は、迂回路をとって義元本陣に奇襲攻撃をかけます。
 思わぬ強襲をうけた今川軍は、周章狼狽して壊走。”海道一の弓取り”といわれた今川義元は、信長の家臣・毛利新助の手にかかりあえない最期をとげます。
 
 と、まあ、こんなところですね。
 
 しかし、この有名なストーリーは、現在ではいろいろと疑問視されています。
 話の大筋はともかく、背景や信長・義元の具体的な行動については、どうも江戸時代以降の脚色がたぶんにくわえられているようなのです。
 
 江戸時代の歴史物語には、特徴があります。
 史実を結果から逆算し、「なぜ、そのようなことが起こったのか」という部分を豊かな想像力でおぎなって、お話をつくってしまうのです。
 
 例えば、明智光秀はなぜ本能寺に主君・信長を襲ったのか?
 
 光秀が信長を憎んだ理由が当然あったはずという発想から、多くのエピソードがつくりだされました。
 
 信長の非常な処置が原因で光秀の母が殺されたとか、光秀主催の徳川家康への接待が信長の気に入らず、満座で恥をかかされたとか。いろいろありますが、実は全部作り話です。
 光秀が謀反を起こした本当の理由は、今もってわからないのです。
 
 桶狭間にしても、劣勢の織田軍が今川の大軍を打ち破ったのは、なにか理由がなければならないという考えから、今川義元の驕りと油断、迂回奇襲戦術の成功、といったもっともらしい”お話”を作っちゃったんですね。
 
 それはそれで面白いですが、歴史の実態を知るためには、通説の見直しは必要です。
 
 ただ、安易に常識をひっくりかえすだけでもいけません。
 
 最近、TVなどで”歴史バラエティ”的な番組が組まれることが多くなり、通説を一ひねりしたような見解がもっともらしく語られています。
 ”桶狭間は実は奇襲ではなかった”という話もそうした”常識一回転ひねり”のひとつとして時おり目にすることがありますが、多くはただの思いつきにすぎず失望させられます。
 
 で、”桶狭間の真相”ですが、これについてはたいへん説得力を感じている書籍があります。一読をおすすめしたいと思います。
 
 ”藤本正行『信長の戦争 『信長公記』にみる戦国軍事学』講談社学術文庫”です。
 
 ちょっと長くなるので、この本の内容については次回詳しく説明するつもりです。
 
 
 今回のしめくくりとして、私見をひとつ。
 
 通説に見られる、織田信長の桶狭間・迂回奇襲攻撃。
 これとよく似た話があります。
 源義経の”鵯越えの逆落とし”です。
 
 平家の軍勢が布陣する一の谷。
 義経は小勢を率いて険しい山道を”迂回”し、敵を背後から強襲します。必勝の態勢をつくりあげて源氏を迎え撃とうとしていた平家の大軍は、思わぬ方向からの奇襲に壊走。 これこそ、日本史上もっとも有名な”迂回奇襲攻撃”でしょう。
 
 江戸時代に流布した”桶狭間”の物語は、悲劇のヒーロー源義経の”鵯越え”を焼き直したものとも思えるのです。


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