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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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7 女は遊べ物語

 司馬遼太郎からもうひとつ、短編の佳作を紹介します。『戦国の女たち』PHP文庫などに所収されている、「女は遊べ物語」です。

 主人公は伊藤七蔵政国。
 妻の浪費から大金持ちになった男の話です。

 この七蔵という男、女運がわるいのでしょうか、いいのでしょうか。
 彼は、織田信長と豊臣秀吉につかえました。腕っ節はなかなかのようですが、とりたてて才覚のある男ではなさそうで、歴史上の人物としてはまったくの無名です。
 ただ、彼の女房の小梅。たいそうな浪費家だったのです。
 小梅は、”七蔵の留守に、親戚縁者の女どもをあつめては馳走して遊びさわぐのが好き”。”そのうえ、途方もないおごり口”です。”伊勢の鯛、近江の鮒、丹波の山芋などをはるばると取りよせたり、夏は、飛騨の氷室から高価な氷を購う”といった、贅沢ぶり。
 三百石ばかりの七蔵にはとてもささえられず、戦場で必死に手柄をたて続けるしかありません。

 あるとき、彼は乱戦の中で鉄砲にカブトを打ちとばされ、”その後はやぶれ編笠をかぶって鬼神のはたらきを”しました。
 このはたらきを信長にほめられ、「編笠」という異名をたまわります。

 ”主人から異名をもらうのは、非常な名誉とされていた。”

 しかし、七蔵は浮かぬ顔です。
 不足かと問われて、あつかましくも加増(昇給)をねだります。
 信長は苦笑して、すぐに百石の加増をゆるしました。
 しかし、これは周囲の評判がわるく、彼は「編笠」ではなく「物乞い七蔵」と呼ばれるようになります。

 こんな調子で七蔵は、女房の贅沢によって尻に火をつけられたように手柄をかさね、千石取りの侍大将に出世します。しかし、あいかわらず台所は苦しく、満足に家来をふやすこともままなりませんでした。
 取り立てられたにもかかわらず、これでは職務怠慢ということになるので、とうとう信長が立腹します。

 そこに、助け舟をだしたのが、羽柴秀吉。
 苦労人の秀吉は七蔵を気に入り、信長から彼をもらいうけます。
 秀吉は、最初に七蔵に、今後いっさい出世はさせないことを言いわたします。
 そのかわり、手柄に対してはすべて現金支給と決めたのです。
 そして・・・・・。

 物語のラストは伏せておきましょう。べつに大どんでん返があるわけではありませんが、さらりと意表をつく結末でした。
 司馬遼太郎の短編には、こうした何げないないようで味のある作品がけっこうあります。その中でも、とくに好きな小説のひとつです。



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