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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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1 地獄からの咆哮

 平田弘史の「大地獄城」が復刻されました。
 この作品が少年キングに連載されてから、40年近くたちます。5回の連載だったと思いますが、子供心には描写がきつすぎて4回で力尽きまてしまいました。怖くて最終回が読めなかったんです。
 ナノデずっと気になっていたものの、この作品、ずっと単行本化されなかったんですね。後になって、同じ作者による貸本版のオリジナルがあったこと(タイトルは「復讐 つんではくずし」)、リメイク版の「大地獄城」の方は原稿が紛失してしまったことなどを知りました。今回出た本は初出誌のコピーから起こしたとかで、解説の中に1969年の連載と書いてあったから、38年ぶりの再会ということになります。さすがにもうオトナですから、何かと殺伐としたことも多い昨今、いまさら目をそむけるほどのこともなく読み終えました。で、気がついたことなど2~3書いてみたくなったわけです。

まずは簡単にストーリーを紹介します。多少物語を説明しないことにはこの先の話が理解できないからですが、未読の方の興をそぐかもしれないので、後半の方はさらっと書いておきます。関心のある方は作品を読んでみて下さい。
 舞台は戦国時代。主人公は巌谷城主義勝の次男、梅丸。義勝を父の仇と恨む赤城重盛の奇襲を受けて、巌谷城は落城。城主一族は幼い梅丸をのぞき滅亡します。梅丸が片足を失いながら生きのびることができたのは、赤城側の武将草葉一徹に救われたから。一徹は城攻めの先頭に立って勇戦した男ですが、戦いの無情を悟り敵将の子の命を助け、キコリとなってひそかにその子を育てたのです。
 梅丸は硲太平と変名し、逞しい若者に成長します。一徹が、赤城重盛への復讐心をたぎらせる太平に復讐の恐ろしさを説くエピソードがはじめの方にあり、このあたりはむしろ爽やかささえ感じさせるのですが、ここで太平が納得してしまうと物語りは連載1回目で終わってしまいます。
 太平は聞き入れず、あるきっかけから仇敵重盛に召し抱えられることになります。この若者、不具者ながら勇猛でなかなかのやり手として描かれており、数年で赤城重盛の信頼を勝ち得、やがて右腕のような存在にのしあがります。
 太平はついに、かねてよりの恐ろしい計画に踏み切ります。  戦場の混乱にまぎれて重盛が戦死したことを皆に信じこませ、実はある洞窟の中に彼を幽閉して凄惨な復讐を開始するのです。
 ここで何より異様な感じがするのは、太平の憎しみの常軌を逸した執拗さです。彼は重盛をなんと15年以上の歳月をかけていたぶり続けるのです。
 物語は最後に急転します。太平の悪事がついに露見する日が来るのです。縛られて城中の大広間に引き据えられる太平。彼の前に現れたのは救出され、今度は自分が復讐者の立場に立った喜びに狂笑する幽鬼のような姿の赤城重盛。そんなぞっとするようなシーンから、この狂おしい物語は最終回に入っていきます。

 ここまで読んで、時代小説好きならば気づかれた方がいるかもしれません。南條範夫の短編にそっくりな話があるんです。タイトルは「復讐鬼」だったかな。登場人物の細かい設定などは若干違いますが、素性を隠して仇の城主に取り入ったうえ幽閉して顔や指を切り刻む残酷描写、「つんではくずし」(この言葉には作品の核心が含まれています)の責め苦などはそのままだし、仕返しの相互乗り入れみたいな物語の流れも基本的には一緒です。発表は南條作品が先行したと思いますが、そちらの冒頭に地元(飛騨だったかな。今、手許に本がないので、うろ覚えですが)に伝わる話にもとづいて小説化したと書いてあったように思います。まあ、記録や伝承があるからといって必ずしも実話とはかぎりませんが、この惨い物語が小説家や漫画家の想像の産物ではないらしいことを思うと、いっそう背筋が寒くなります。
 なお、結末の部分は小説と漫画でいささか趣が異なり、小説は淡々としてシニカル、一方、漫画版のラストは突然バタバタと破局に向かって疾走する感じで、なんとなくシェークスピアを連想したりしてしまいました。

 さて、この物語、私は長年心に引っかかっていたことがあります。硲太平の赤城重盛に対する常軌を逸した憎しみについてです。

1)なぜ、これほどまで残忍な仕打ちを相手にくわえなければ、自らの復讐心を満たすことができなかったのか。

2)憎しみの心が、なぜ復讐の開始時から15年も執拗に持続したのか。
 
 以上の2点がずっと気になっていたのです。一族を殺され、自らも不具として生きることを強いられた恨みの深さはそんなものなのだろう、と言ってしまえばそれまでです。戦国時代という殺伐とした時代背景も無関係ではないとは思います。しかし恨みの心は、仇を殺し、自らは栄華を獲得することだけでは消えないものなのでしょうか。

 疑問に思った理由は、人間の恨みは自身の味わった苦痛の量と必ずしも等価ではないのでは、と考えているからです。太平の恨みがいかに強くとも、それは洞窟で重盛に残忍な責め苦を与えた時点で一応の満足は得られたはずだし、彼自身は事実上の城代家老として君臨することによって、悲惨な過去をつぐなう十分な報酬も得られたのです。復讐は心に満足はあたえても、実利には結びつきません。現在の成功者としての立場は過去の苦しみを癒すでしょうし、後は自分自身の繁栄を願うのであれば、重盛という存在を生かし続けることは危険な火種となります。だから、良心が実利に翻弄されて風化することがあるのと同様、悪心だってしだいに薄れていくものなのではないかと思ったのでした。
 太平は、変わり果てた姿の重盛を、彼の家族や家来達の目にわざわざ15年間も晒しつづけました。これは危険な遊びです。いつ自らの悪事が露見するかも知れず、現に物語では15年目にして秘密が暴かれるどんでん返しがあり、自らも破滅と地獄を味わうことになります。

 これらの疑問をめぐって、今回、復刻本を読み返しながら次のように考えました。

 とっかかりとして気づいたのは、太平と重盛が本来は対等の身分に属する人間であったことです。彼らは共に城主の子として生まれました。他人を存分に見下すことが可能な立場を約束された子供だったのです。
 しかし、太平は落城と共にその恵まれた地位から突き落とされます。幼い彼にとって、追っ手から身をひそめ、片足を失ってキコリの子として生きる生活は、きわめてつらく過酷なものだったに違いありません。平民よりも惨めな人生を強いられたのです。一方、仇敵である赤城重盛は、太平がそこにいるはずだった高み、もはや手のとどかない雲の上に君臨しています。
 だから、太平の求めた復讐は、重盛を殺すことでも単に痛ぶり苦しめることでもなく、重盛をこの世で最も惨めな存在に落とすことに本質があったのです。重盛の命を闇に葬り、あるいは人知れぬ密室で責め苛むのでは、この目的をはたすことができません。重盛への責め苦は、衆人環視のもとで行われる必要がありました。彼を慕う妻子、彼を敬う家臣の目に触れる白日の下で、平民より惨めで罪人にも蔑まれ、物乞いにも嘲弄される晒し者として生きることを強いたのです。
 この目的を果たすためには、重盛の容貌を一変させなければ不可能です。作中では、洞窟に幽閉し、鼻を削ぎ眼を抉るといった残酷描写ばかりが目を引きますが(実際にこの上もなく残酷ですが)、このような責め苦のねらいは単に苦痛をあたえるためだけではなく、重盛の姿を妻子にも見分けがつかないほど変貌させることにもあったのです。

 このように考えてきた時、先に書いた2)の答えはわかりました。太平が重盛への復讐を15年も続けた理由です。
 平民よりも罪人よりも惨めな重盛の姿を高みから見下ろすことによってのみ、太平は平民よりも罪人よりも惨めだったおのれの過去からの脱出を実感し、精神の安定を得ることが出来たのでしょう。だから、彼は復讐をそう簡単に終結させることはできなかったのです。
 太平の心の傷の本質は、憎悪よりもむしろ劣等感なのです。恨みの心はやがて薄れても、「劣等感」とは他者との関係性から発生する「構造」ですから、生きている限り消えることはありません。太平は、平民よりも罪人よりも物乞いよりも惨めな重盛の姿を嘲り続けなければバランスが保てない、そんな歪がんだ精神を背負ってしまったのです。

 1)の答えも、これで半分はわかりました。1)の疑問は太平の復讐心の激しさでしたが、その理由の一部はここまでの考察の中に含まれていると思います。太平の復讐は壊れてしまった心のカケラを必死に掻き集めようとあがくような行為であったがゆえに、あそこまで狂おしいものとなったのです。それは、「実利」と引き換えにできるようなものではなかったのでしょう。

 しかし、私は1)の答えはもう一つあると考えます。
 それは、太平が「子供」だということです。

 このことを考える前に、戦国時代という時代背景について少しばかり検討する必要があります。これは膨大なことなので、詳しい考察は後日にゆだねるとして、ここでは簡単に書いておきます。
押さえておきたいのは、戦国の世とは、けして無秩序な時代ではなかったということです。

 戦国時代は古い秩序が崩壊過程に入り、新たな秩序が形成された橋渡しの時代です。乱世とはいえ、新秩序の萌芽もすでに始まっていたことを見逃すべきではありません。力を蓄えた戦国大名達は「戦国家法」と呼ばれる独自の法を制定し、領国経営に力を入れました。斉藤道三、武田信虎のような策謀家、独裁者タイプの領主は排除され、合議制を採用した武田信玄のような武将が勝ち残っていく傾向がみられます。武力や恐怖による支配よりも新たな秩序の構築が求められ、そしてそれを実現していくパワーを地侍や農民たちという当時の「地上の星」たちは保持していたのです。最終的に天下統一の足がかりを築いた織田信長にしても、独裁者的なイメージのつよいキャラクターではありますが経済や文化に鋭いセンスを示した人物でもあり、革新的な姿勢が世に支持されたのでしょう。
 もちろん乱れた時代であったことは、まちがいありません。世が乱れた原因は室町幕府の制度疲労にも求められるでしょうが、もっと本質的な要素として気候変動に注目した研究があります。室町時代は気候が寒冷化にむかった時期で、ちょうど応仁の乱の起こったころが最も気温の低い時期だったといいます。そのため飢饉が頻発し、当時の民衆の生活は大きな打撃を受けていました。
 戦乱が民衆を苦しめたのではなく、恒常的な飢饉による飢えと生活苦が戦乱を呼び起こしたのです。戦場では残酷な殺戮、略奪、レイプ、人身売買など行われたと当時の記録にありますが、農閑期に村にしがみついていても食えない農民達は「外征」としての戦を歓迎したのではないかという見解があります。足軽になって他の地方を略奪しにいくことは、一種の出稼ぎだったのです。

 弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者を叩く。そんな悲しい時代を終わらせたいという共通の願いを、人々は抱いていたはずです。乱れた世にあっても人間は何らかのルールをつくろうとするものです。
 戦国の世にも、それなりの秩序はありました。現代でも戦時国際法というものがあるように、殺し合い奪い合う世界だからこそ歯止めをもうけなければ際限のない地獄になってしまうからです。織田信長の妹婿浅井長政が、落城のおり妻のお市と子供達を城外に逃がすシーンは、よくドラマや小説で悲壮感たっぷりに描かれます。しかし落城に際して敵方の女を無事に帰すのは、当時は当たり前のことだったそうです。また「下克上」の時代と言われながらも、名門の守護職を追放して国を乗っ取った斉藤道三、主君信長を奇襲で殺害した明智光秀は、結局支持を得ることは出来ませんでした。そういう時代の側面もあったのです。
 当時の人々の秩序意識をちゃんと分析しようとすると大論文が必要になってしまいますが、要するに何でもありの世界ではけしてなかったことを押さえておきたいと思います。

 乱世にあっても人がルールを作ろうとするのは、他人への攻撃も情けもいずれ自分に返ってくる可能性を予測するからです。
 狼の戦いは、負けを認めた側が首筋を相手に差し出すと終わるそうです。動物は不必要な殺戮はしません。サルやネコ科の猛獣の生態に、同じ種族の子供を殺す事例があるそうですが、これは子を失ったメスの発情を引き出し交尾するためらしく、自身の遺伝子を残そうとする本能にもとづくと考えられます。残酷に見えますが、無意味ではないのです。
 では、人間はどうでしょう。
 人間は「知性」をもち、「予測」ということができるため、もっと複雑な行動をとります。「予測」から、人間は情けある行為と残酷な行為の両方をなします。仕返しを回避するために憎い相手に優しくする場合もあるし、自分を憎むものの報復を避け得ないと「予測」した場合には、禍根を断つために相手を殺す場合もあります。しかし行動に理由があり互いに「予測しあう」ことも可能なため、そこから協調が生まれるのです。

 赤城重盛が太平の父を殺したのも復讐ですが、敵の城を落とし、敵将の一族を根絶やしにする行為は、当時の常識の範疇であり、よってある意味で合理的な行動です。彼が後に太平からの報復を受けたのは、敵の子供を討ちもらしたミスによるものにすぎません。
 しかし、太平は重盛の生殺与奪の権を手中にした時ほとんど復讐に成功したにも関わらず、その後のやり方があまりにも常軌を逸したために自らも破滅しました。
 太平の行動、生き様の本当の恐ろしさは、実はここにあるのではないでしょうか。自身をも破滅させるほどの攻撃性は、「予測」ができないがゆえに人に恐怖感をあたえます。

 さらに、太平の行為にはもうひとつの側面があります。
 それは身分の破壊です。

 乱世とはいえ、当時、中世的な身分意識は人々の心を強く規制していたと考えられています。太平の行為はそれを破壊しているのです。本来、敬われるはずの領主を醜い姿に変え、重労働を強いる光景は、人の心にレボリューションの衝撃をあたえます。
 太平は幼い頃すべてを失ったため、乱世に歯止めをかけるためのオトナの知恵としてのルールを教わることが出来ず、ゆえに「子供」のままで彼の時間はとまってしまっているのです。彼が赤城重盛にむけた残虐性は、子供が蝶の羽をむしる姿に似ていないでしょうか。
 現実の事例としては、戦国の世には太平の行為と同等、あるいはそれ以上の残酷な情景もあったかも知れません。しかし太平の行為は秩序破壊の衝撃をはらんでいたために、戦国の世にさえ存在してはならないカオスの暗黒を生み出してしまったのです。だから、重盛の妻子や家臣達は悪事の露見した太平に毅然として制裁を加えることもできず、うろたえ右往左往するばかりだったのでしょう。

 もうひとつ。「この作品の主眼は残酷描写にあるのではなく、真のテーマは復讐の恐ろしさ空しさを説くことにある」といったコメントがあります。その通りだろうとは思いますが、私はなぜかそのような言葉には一抹の違和感をおぼえます。やはりこの作品、残酷描写は核心として切り離せないと思うのです。人間には、残酷に惹かれグロテスクを愉しむ心がまちがいなくあるのではないでしょうか。

 なお、オリジナルの「つんではくずし」の方は読んでいないのですが、リメイク版よりもっと強烈だとか。うーん。「平田弘史劇画創世記傑作選」に収録されています。



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