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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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14 織田信長の実像(その2・桶狭間1)

 織田信長の事績については、現在さまざまな観点から見直されています。
 有名な桶狭間の戦いもその一つです。

 通説では。
 
 永禄3年(1560年)、今川義元率いる2万5千の大軍が尾張をめざして進軍を開始します。その目的は、京に今川の旗を立てること。当時、国力の充実した駿河・今川勢が、戦乱の世を鎮めるための行動をおこしたのだとされています。
 そもそも今川家は足利の名門、天下に号令する資格はじゅうぶんにありました。
 今川軍上洛の途上にある尾張は、当時統一されておらず、若き織田信長はまだ弱小勢力。今川軍の10分の1程度の軍勢しか動員できず、とうてい勝ち目はないと見られました。

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13 織田信長の実像(その1・入門編)

 織田信長という人物の人となりを知るうえで、欠かすことのできない有名な史料があります。
 天正4(1576)年頃、信長が秀吉の妻に宛ててかいた手紙です。
 
 このころの織田家は、多くの難敵との長年にわたる苦しい戦にもようやくめどがつき、全盛期をむかえようとしていました。
 先立つ天正元年には、将軍、足利義昭を追放し、抗争をくりひろげてきた浅井・朝倉両家を滅亡に追い込んでいます。また天正3年には、有名な長篠の戦いで武田勝頼の軍勢を一蹴。
 石山本願寺、上杉、毛利といったやっかいな敵がいくつか残っているとはいえ、織田家の優勢はもう動かない状況になっていました。
 この時期に信長は、安土城の築城に着手したのです。
 
 秀吉の妻・おねへの手紙は、そんなころに書かれたものです。

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