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あまくさ

Author:あまくさ


 平将門の生涯を追うと、平安時代中葉~後半期の関東地方が、深刻なアナーキズムにつつまれていたことがわかります。東北の蝦夷との強いられた戦争。都の権門や国司たちによる過酷な搾取。
 関東の武士や民衆は、みずから汗を流して開拓した農地を守るため、立ち上がりました。それが、将門をリーダーとする大反乱です。
 将門は「新皇」と名乗り、「関東独立王国」を建設しようとしましたが、この歴史上初めての壮大な実験は、あえなくついえました。彼らの政権構想が、あまりに未熟だったからです。
 将門と坂東武者たちの見果てぬ夢。それが実現したのは、2世紀あまりのちのこと。源頼朝の登場まで待たなければなりませんでした。
 鎌倉幕府成立の本質は、武士による革命であり、働く者を社会の中心にすえる「世直し」とも言えるものでした。


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52 北の政所と淀の方

 関ヶ原の戦いには、それがすべてではありませんが、二人の女性の戦いという側面がありました。
 ひとりは、豊臣秀吉の正妻である北の政所・おね。もうひとりは、秀吉の側室であり淀の方と呼ばれた茶々です。
 そして、このふたりは豊臣政権をささえた二大勢力を象徴する存在でもありました。
 それは、尾張派と近江派です。

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38 「八幡太郎」伝説 -源義家-

《征夷大将軍・前史》

 「八幡太郎」源義家について、書いてみたいと思います。
 この人物は、前九年の役・後三年の役で名をはせた平安時代後期の武将で、中世にあっては伝説的な英雄でした。

1.源頼義・義家親子と、東北戦争

 11世紀の後半、東北地方に勢力を誇った蝦夷系の大豪族がいました。
 
 安倍一族です。
 
 その強大さをおそれた朝廷は、関東で力をたくわえていた源頼義(義家の父)に征討を命じました。
 それが「前九年の役」です。
 鎮守府将軍・陸奥守に任じられた頼義は、息子の義家とともに、安倍一族と数年にわたる死闘をくりひろげました。
 この戦において若武者義家の勇敢な戦いぶりは評判となり、味方からは称えられ、敵からは鬼神のように恐れられたと言われます。

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16 織田信長の実像(その3、桶狭間2)

 ”14 織田信長の実像(その2・桶狭間1)では、通説にそった桶狭間の戦いを概観してみました。

 そのさい、この有名な合戦の実相についてのさまざまな考察のなかで、わたしがとくに興味をひかれた書物として、藤本正行『信長の戦争』をあげました。
 
 まず、この本の内容を簡単に紹介しておきます。ここでは、織田信長にかかわる7つの“戦争”がとりあげられています。
 桶狭間の合戦、美濃攻め、姉川合戦、長嶋一揆攻め、長篠合戦、石山本願寺攻め、本能寺の変の7つです。

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14 織田信長の実像(その2・桶狭間1)

 織田信長の事績については、現在さまざまな観点から見直されています。
 有名な桶狭間の戦いもその一つです。

 通説では。
 
 永禄3年(1560年)、今川義元率いる2万5千の大軍が尾張をめざして進軍を開始します。その目的は、京に今川の旗を立てること。当時、国力の充実した駿河・今川勢が、戦乱の世を鎮めるための行動をおこしたのだとされています。
 そもそも今川家は足利の名門、天下に号令する資格はじゅうぶんにありました。
 今川軍上洛の途上にある尾張は、当時統一されておらず、若き織田信長はまだ弱小勢力。今川軍の10分の1程度の軍勢しか動員できず、とうてい勝ち目はないと見られました。

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13 織田信長の実像(その1・入門編)

 織田信長という人物の人となりを知るうえで、欠かすことのできない有名な史料があります。
 天正4(1576)年頃、信長が秀吉の妻に宛ててかいた手紙です。
 
 このころの織田家は、多くの難敵との長年にわたる苦しい戦にもようやくめどがつき、全盛期をむかえようとしていました。
 先立つ天正元年には、将軍、足利義昭を追放し、抗争をくりひろげてきた浅井・朝倉両家を滅亡に追い込んでいます。また天正3年には、有名な長篠の戦いで武田勝頼の軍勢を一蹴。
 石山本願寺、上杉、毛利といったやっかいな敵がいくつか残っているとはいえ、織田家の優勢はもう動かない状況になっていました。
 この時期に信長は、安土城の築城に着手したのです。
 
 秀吉の妻・おねへの手紙は、そんなころに書かれたものです。

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